2020年07月29日
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ブログは投稿日が古い程、下に格納されていくため、任意のページをすぐ開けられるよう、リンクを貼った目次を作成致しました。母が61歳の頃から始めた俳句と、17歳頃の短歌も少し、ブログに収録致しました。よろしくお願いいたします母の遺した俳句のブログを作りました。...
母が遺した俳句を、ここに記録して皆様にご覧頂こうと思い、ブログを開設しました。 若い頃は短歌も詠んでいたようですが、母が俳句を始めたのは、長女を亡くした翌々年:平成4年(1992年)の1月から3か月間、「京都市ゴールデン・エイジ・アカデミー」という俳句教室に通ったことがきっかけでした。 その時の講師が、京都俳句作家協会の故 村文一先生。 母は、俳句教室の受講生で結成された「卯の花会」(現在の主宰は長谷川暢之様)に所属し、同じく故 竹村先生主宰の「蝸牛会」という会にもお世話になっておりました。 古いものから順にご紹介して参ります。少しでも皆様にご覧頂けると幸いです。
2020年07月29日
ブログは投稿日が古い程、下に格納されていくため、任意のページをすぐ開けられるよう、リンクを貼った目次を作成致しました。母が61歳の頃から始めた俳句と、17歳頃の短歌も少し、ブログに収録致しました。よろしくお願いいたします母の遺した俳句のブログを作りました。...
2020年07月29日
今は皆故人になってしまいましたが、以前、母の長兄夫婦が兵庫県西宮市に住んでいて、私は西宮のおっちゃん、西宮のおばちゃん、と呼んでいました。今年3月の連休に、京都で伯父伯母の十七回忌と、母の初彼岸のお墓参りをする予定だったのに、新型コロナのせいでできませ...
2020年06月30日
母が亡くなって遺品を見ていた時、母が17~18歳頃に詠んだ短歌を、一冊のノートに清書したものがみつかりました。若い頃、短歌を詠んでいたとは聞いていましたが、このようにきちんと遺してあるとは。母の心の頁をめくります。「十七・八才の頃のうた 生れて初めて作った...
2020年06月27日
今回は、母が17歳頃に参加していた短歌の会「しきなみ短歌会」の会誌と、平成8年10年29日に出版された「旧しきなみ短歌会京都支舎 記念歌集 花筐(はながたみ)」という合同歌集に掲載された短歌を書き留めたいと思います。若い頃に母の長兄夫婦(私の伯父伯母)と一緒に...
2020年06月26日
今回は、「雷鳥」創刊550号・600号・650号・700号・750号記念俳句大会の際の句と、俳句雑誌「俳壇」に投稿して何度か佳作で掲載して頂いていた句、また、平成29年(2017年)1月20日発行の俳句雑誌「俳句四季」に「雷鳥」創刊70周年記念の記事が掲載された際の、母の句を記載...
2020年06月20日
母は、沖縄に転居してから俳句雑誌「雷鳥」に投稿する際、私に「ポストに入れておいて」と渡していました。私は大体、出勤途中でポストに投函するのですが、母の晩年、ふと気が向いて、写真に撮っていたものがありました。今回は、それを集めました。母は、会に投句する句...
2020年06月18日
今回は、平成31年(5月1日からは令和元年:2019年)、母が88歳の時に「雷鳥」に掲載して頂いた句を、転記致します。母は12月5日生まれでしたので、前年の12月に満88歳になりました。すでに前年から俳句の投稿はしておりませんが、時々、以前のものから抜粋して掲載して頂い...
2020年06月17日
今回は、平成30年(2018年)、母が87歳の時に「雷鳥」に掲載して頂いた句を、転記致します。この年にはもう、母は投句を出来なくなっていました。夏・冬の肺炎入院で痩せ、退院した時は起き上がれるまでに日にちがかかり、寝たきりになるのではないかと心配した時期がありな...
2020年06月10日
今回は、平成29年(2017年)、母が86歳の時に「雷鳥」に掲載して頂いた句を、転記致します。【「雷鳥」760号 平成29年(2017年)通巻760号(1月10日発行)より】「雷鳥新地図(760号より)」 (表紙裏2頁より)ボジョレヌーボ一五〇〇本の店構え【760号からの私の共鳴句】 12...
2020年06月09日
今回は、平成28年(2016年)、母が85歳の時に「雷鳥」に掲載して頂いた句を、転記致します。巻末のお便り抜粋ご紹介コーナーの「雷鳥往来」は、常時あるコーナーではなくなったようですが、母のお便りは前年の掲載まででもう見ることはありません。句会への句の提出も、あと...