母が17歳頃に作った短歌たち(会誌と句集収録分)

母が17歳頃に作った短歌たち(会誌と句集収録分)

今回は、母が17歳頃に参加していた短歌の会「しきなみ短歌会」の会誌と、平成8年10年29日に出版された「旧しきなみ短歌会京都支舎 記念歌集 花筐(はながたみ)」という合同歌集に掲載された短歌を書き留めたいと思います。
若い頃に母の長兄夫婦(私の伯父伯母)と一緒に短歌の会に入っていたとは聞いていましたが、20歳すぎてからかと思っていました。
「花筐」の本は知っていましたが、古い会誌もとってあったとは知りませんでした。
母はこの短歌の経験を踏まえて、今度は俳句を勉強しようと思ったのだろうと思います。

「しきなみ短歌会」の会誌9冊のうち、母が17歳だった昭和23年7月・10月・12月発行のものに掲載がありました。
母は昭和5年12月生まれで、結婚したのは32歳の時でしたので、もちろんこの時は旧姓でした。

母が17歳頃に作った短歌たち(会誌と句集収録分)

「しきなみ 七月号(昭和23年7月1日発行)」 9頁
白光集
「花五月」京都 洋子

わが活けし石竹の花に蚊の一つとまりて春の夜は更くるらし


白つつじ「初戀」といふ花言葉聞きてよりなほ好ましきかな


花あしび咲き初めにけり初夏の光まぶしみ悄仰ぐも


はつなつの風に流れて金魚屋の聲のどやかに過ぎゆきにけり



「しきなみ 十月号(昭和23年10月1日発行)」 9頁
白光集
「このごろ」京都 洋子

久に訪ふふるさとの道ちらほらとあづま菊咲き秋日ぬくし


夕ぐれの川邊に立ちて語りつつ花火上れば又仰ぎつつ


年下の至らぬ我を姉のごと思ひてくれぬ優しき友は


嫁(ゆ)く君に幸あれかしと祈りつつ握り合ふ手に涙おつるも


うし身は悲しくあれど君戀ひて出さぬ文書く秋の夜長に



「しきなみ 十二月号(昭和23年12月1日発行)」 10頁
白光集
「秋の月」京都 洋子

乳ばなれの赤兒はしなへし老母の乳房まさぐり寝入らんとすも


為すこともなしに見やれば晝庭に虫くひ柿は落ちてころがる


淺宵の空に浮べる満月に秋萩ゆるる野路を来にけり


露にぬれしこの道ばたの小石にも秋は来ぬとぞあれ一人ゆく


向うより琴の音きこゆ我もまた弾きたくなりぬ月の今宵を



合同歌集「旧しきなみ短歌会京都支舎 記念歌集 花筐(はながたみ)」(平成8年10年29日発行)

この歌集は、しきなみ短歌会の京都支舎草創から50年経ち、記念に発行されたものだそうです。
33名の方の当時の短歌が収録されています(発行時、5名の方が故人)。またこの歌集には、母の長兄と義姉の短歌も収録されています。
この歌集から、昭和22~23年の母の短歌を40句、転記致します。

母が17歳頃に作った短歌たち(会誌と句集収録分)

109~112頁より

朝霧のあせゆくなべにひむかしの峯うかび出でて日は昇りいづ 昭22・3


這ひよりて我につかまり立ちし児の笑顔に応へほほゑむわれは 昭22・3


梅は早やほころびそめぬ床の間に朝の日射しのあたたかくして 昭22・3


すこやかにならざる母の健康を考へぬ日のわれに少き 昭22・4


おのもおのも案じゐたれど高らかにうぶ声あげて児は生れたり 昭22・4


朝々の庭に来て啼くうぐひすの今朝は来なかず細き雨ふる 昭22・5


目に見えぬ程の小雨が老梅の枝ぬらしつつ春は来らしも 昭22・5


ゆく汽車の汽笛かすかに響かひて桜散るなり峡のながれに 昭22・6


足下の谷川のとよみ聞きながらあへぎつつ登る保津峡のみち 昭22・6


深山路の春のたけなはをちこちにうぐひす啼きて昼しづかなり 昭22・7


雨あがり庭木の末(うれ)の陽のたまりみの虫ひとつゆれてゐるなり 昭22・7


光りつつ蓑虫の糸下り(さが)り来ぬ朝日かげさす庭木の末ゆ 昭22・7


雨あがり日の射しあかる庭土をみみず這ひゆくひとすぢのあと 昭22・8


たたずめばすぐまとひつくぶとのゐて暮れの川辺をたもとほり来ぬ 昭22・8


昨夜(よべ)君にそはりたしオリオンの在処仰げば星一つとぶ 昭22・8


のぼりくるあかるき月にくろぐろと浮き出でて見ゆ山の秀の木々 昭22・9


やうやくに腹這ふ孫を見守りつつ笑み給ふ母の髪の毛白し 昭22・9


うたた寝の夢に目覚めし窓近くひぐらし啼きて暮れゆかむとす 昭22・9


うすぐらき厨に立てば片隅にこほろぎは鳴き秋立ちにけり 昭22・10


いちぢくの青き実あまたころがりてさ庭べ涼し夕立のあと 昭22・10


庭草にこほろぎ鳴くを聞きゐつつ畳の冷えをすがしみてをり 昭22・10


さるすべりはつかゆれつつほろほろと花こぼしをり秋の風吹く 昭22・10


朝涼の静けさ破る物売りのこゑはききつつ飯をたきをり 昭22・12


児をおへば背中ぬくしといひたまふ母老いましぬ声も笑顔も 昭22・12


炭焼きの木を伐る音のみきこえくる深き山みちなほ登りゆく 昭22・12


塩焼きの鯛こそなけれ赤飯(いひ)たきてわが生れし日を母祝ひます 昭23・1


小走りに行く足音のこだまして冷ゆるみ空に星しづもれる 昭23・1


十九 十九 われによぶごと除夜の鐘かそか鳴りをり年明けなむか 昭23・2


去年のこと今朝は想わじ若松を活けし指先かなしくにほふ 昭23・2


この年も無事にてあらなと願ひつつ静かに屠蘇はくみかはしけり 昭23・2


晴衣裳肩よりはづす指先に紅もかなしもその裏ぎぬの 昭23・2


寄りそひて何語るなき朧夜の道をしづかにただ歩みしか 昭23・4


帰り路はたそがれにつつ白梅の匂ひやさしも疲れごころに 昭23・4


わが活けし石竹の花に蚊の一つとまりて春の夜は更くるらし 昭23・7


白つつじ「初恋」といふ花言葉ききてよりなほ好ましきかな 昭23・7


時たまに祖母のしはぶき低くして又静かなり春寒き宵 昭23・7


はつ夏の風に流れて金魚屋の声のどやかに過ぎゆきにけり 昭23・7


夕ぐれの川辺に立ちて語りつつ花火上れば又仰ぎつつ 昭23・10


乳ばなれの赤児はしなへし老い母の乳房まさぐり寝入らんとすも 昭23・12


露に濡れしこの道ばたの小石にも秋は来ぬとぞあれ一人ゆく 昭23・12



母は昭和5年12月5日大阪市此花区春日出町生まれ、昭和20年4月、15歳の時に父親の里・滋賀県草津市平井町(旧栗太郡笠縫村大字平井)に疎開し、終戦直後一家で京都に移り住んだと聞いております。
祖母(母の母親)は体が弱く、6人兄弟の下から2番目だった母は、結婚せずずっと母の面倒をみようと、長らく思っていたそうです。
母が未婚だった頃のうつくしい恋の話も聞いています。
今は、母も叔父も伯母も故人となり、こうして歌だけが遺っております。





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