2020年06月05日
俳句雑誌「雷鳥」 平成27年(2015年)に掲載の俳句です。
今回は、平成27年(2015年)、母が84歳の時に「雷鳥」に掲載して頂いた句を、転記致します。この年は、夏に母が近年で初めて、肺炎のために入院した年でした。この入院で体重が落ち、その後も夏と冬の年2回ペースで入院することになります。入院の度に落ちた体重は基に戻ら...
母が遺した俳句を、ここに記録して皆様にご覧頂こうと思い、ブログを開設しました。 若い頃は短歌も詠んでいたようですが、母が俳句を始めたのは、長女を亡くした翌々年:平成4年(1992年)の1月から3か月間、「京都市ゴールデン・エイジ・アカデミー」という俳句教室に通ったことがきっかけでした。 その時の講師が、京都俳句作家協会の故 村文一先生。 母は、俳句教室の受講生で結成された「卯の花会」(現在の主宰は長谷川暢之様)に所属し、同じく故 竹村先生主宰の「蝸牛会」という会にもお世話になっておりました。 古いものから順にご紹介して参ります。少しでも皆様にご覧頂けると幸いです。
2020年06月05日
今回は、平成27年(2015年)、母が84歳の時に「雷鳥」に掲載して頂いた句を、転記致します。この年は、夏に母が近年で初めて、肺炎のために入院した年でした。この入院で体重が落ち、その後も夏と冬の年2回ペースで入院することになります。入院の度に落ちた体重は基に戻ら...
2020年06月04日
今回は、平成26年(2014年)、母が83歳の時に「雷鳥」に掲載して頂いた句を、転記致します。【「雷鳥」742号 平成26年(2014年)通巻742号(1月10日発行)より】「雷鳥新地図(742号より)」 (表紙裏2頁より)飾らずに暮らす気楽さ秋刀魚焼く「雷鳥集」 15頁より観る阿呆で...
2020年06月02日
今回は、平成25年(2013年)、母が82歳の時に「雷鳥」に掲載して頂いた句を、転記致します。【「雷鳥」736号 平成25年(2013年)通巻736号(1月10日発行)より】「雷鳥新地図(736号より)」 (表紙裏2頁より)ハングルの絵馬もかかりぬ秋祭【735号からの私の共鳴句】 11頁よ...
2020年06月01日
今回は、平成24年(2012年)、母が81歳の時に「雷鳥」に掲載して頂いた句を、転記致します。この年、竹村文一先生がご逝去されました。同人・会員の皆様方もそうと思いますが、母も、竹村先生を尊敬し大切に思っておりました。先生も奥様を亡くされ、母も父を亡くしたせいか...
2020年05月31日
今回は、平成20年(2008年)~23年(2011年)、母が77~80歳の時に「雷鳥」に掲載して頂いた句を、転記致します。2~3年にわたっておりますのは、主宰の竹村文一先生が、ご高齢とご体調のため、毎月発行が難しくなり、そのうちに2ヶ月に1度も厳しくなり、1年程お休みになった...
2020年05月29日
今回は、平成19年(2007年)、母が76歳の時に「雷鳥」に掲載して頂いた句を、転記致します。【「雷鳥」706号 平成19年(2007年)1月号(1月20日発行)より】「雷鳥新地図(1月号より)」 (表紙裏2頁 竹村文一先生抄出)聞き耳を立てて耳鳴り冬の波「沖縄通信」 12~13頁よ...
2020年05月29日
今回は、平成18年(2006年)、母が75歳の時に「雷鳥」に掲載して頂いた句を、転記致します。母がお便りで沖縄のことをちょこちょこと書かせて頂いていたものが、「沖縄通信」として、1頁まるごと、ときには見開き2頁なども頂きまして、非常に恐縮しております。俳句の方は一...
2020年05月27日
今回は、平成17年(2005年)、母が74歳の時に「雷鳥」に掲載して頂いた句を、転記致します。嫁ぐ娘の母となってもらったこともございましたが、結局は出戻った娘の母にさせてしまった不肖の二女でございます。その為に晩年もずっと一緒にいられたということはありますが、孫...
2020年05月26日
今回は、平成16年(2004年)、母が73歳の時に「雷鳥」に掲載して頂いた句を、転記致します。沖縄が好きで母まで巻き込んで転居してきた私ですが、母はいつも冷静であったのですが、色々と沖縄の風土慣習等を自分なりに勉強していたようです。ほとんど毎号に、沖縄からの便り...
2020年05月25日
今回は、平成15年(2003年)、母が72歳の時に「雷鳥」に掲載して頂いた句を、転記致します。この年は、京都の実家を引き払い、母娘で那覇に転居した1年目の年でございました。母は、ただ私のことを考えて、住み慣れた京都の家を引き払い、私の我が儘に付き合って一緒に来て...